最新ニュース 7 month ago: 10月のベストファイブ曲

「モンゴルの声」国際放送部

我が「モンゴルの声」国際放送部の場合は、国営ラジオ局の一部で 1964年に「ラジオ・ウランバートル」と言う名前で短波放送を流すことになった。当時は、中国向けの放送しかなかったが、1964年10月1日にモンゴル語、ロシア語、中国語、英語、フランス語、カザフ語で放送していたが、現在はモンゴル語、日本語、英語、ロシア語、中国語という5カ国語で放送をしている。1989年に我が日本語課が設立された。


現在、我が海外放送部は、5ヶ国語で 番組を制作しており、周波数12085メガヘルツで 毎日2回30分間の放送を流している。2回目は再放送です。「モンゴルの声」放送部の狙いはと言えば、外国にモンゴル国を紹介することだ。そのため、モンゴルの歴史と文化、芸術、政治、社会など多面的な番組を企画している。我が「モンゴルの声」海外放送部には、日本、中国、オーストラリア、ロシア、スイスなど国々のリスナーからお便りが寄せられている。そのほか、これらの国々の短波クラブが協力して来た。 1989年には、短波による日本向け日本語放送「モンゴルの声」を開始し、外国と交流する努力は続けており、日本の国際協力機構JICAも専門家を派遣した。 日本語課の最初の放送は日本時間で18時からで周波数は12085 kHz、再放送は0時から12015kHzで2回放送する。平日の番組は最初の10分は現在起きているニュース、残りの20分はモンゴルの伝統、文化、教育などを紹介する。前はテープで収録したが、2年前からデジタル形に移った。デジタルに移った結果、時間を節約できるようになった。番組を聴いたリスナーの方は我放送課に受信報告書を送る。手紙には受信状態と番組の感想を書いて送る。送る手紙は私たちに励みになるし、反省にもなる。我日本語課にリスナーの方から週に平均で20通くらいの手紙が寄せられてくる。受信報告書を送って下さった全ての方に受信確認書を送る。



    番組
  • 現在のモンゴル

     現在のモンゴル

    <モンゴルの地理と自然>

    モンゴルは、北半球の涼しい地域にあり、国土面積は156万6500平方kmで、日本の約4倍にあたります。

    モンゴルの東と南には、広い草原が拡がります。その中で、一番広いのは25万平方キロの面積を持つドルノドの草原です。モンゴルの領土は森林ステップ、大草原、ゴビ、砂漠の4つに分けられます。

    気候は乾燥しており、冬はマイナス40度、夏はプラス40度以上にもなり、また一日の間でも寒暖の差が大きく厳しいのが特徴です。

    モンゴルは山が多く、一番高い山岳地帯はアルタイ山脈系で、モンゴル最高峰のアルタイ・タワンボグド山があり、その高さは海抜4374メートルです。その他、ツアンバガラブ山、ムンフハイルハン山、スタイ山、ハルヒラー山といった4000メートル級の山々があり、ヘンテイ山脈とハンガイ山脈の連山もあります。

    川や湖も多くあります。有名な川をあげますと、オルホン川、セレンゲ川、ヘルレン川、ザブハン川、トーラ川などです。何百キロも連なり、新鮮な水が流れるオルホン川は1124キロ、ヘルレン川は1090キロ、セレンゲ川は1024キロ、ザブハン川は808キロの大河です。湖は、ウブス湖、フブスグル湖、ハル・ウス湖、ヒャルガス湖、ブイル湖などがあり、一番大きなウブス湖の面積は3350平方キロです。ウブス湖は、2004年、世界保護地域のリストに記録されました。バイカル湖につぎ、2番目に世界で清らかな水を持つフブスグル湖は、透明度が深さ100メートル以上で、10種類以上の魚が生息しています。

     美しい自然と新鮮な空気を持つモンゴル国土には、4000種類以上の植物が育ち、140種類の哺乳動物、390種類の鳥、70種類以上の魚がいます。

    世界で珍しい「マザーライ」と言うゴビ熊、雪豹、「ホラン」というロバ、「タヒ」という馬、「アルガル」という羊、「ヤンギル」という山羊、「ハブトガイ」というラクダなどの野生動物や雪蓮華などの珍しい植物もあります。

     このように豊かな自然を持つモンゴルには現在20以上の保護地域があります。

     

    <モンゴルの歴史>

     モンゴルの各地から発見された遺跡などにより、30万から35万年前、モンゴルに人が住んでいたことが分かっています。紀元前頃、中央アジアの殆どの国土を保有していた匈奴国は、現在のモンゴルの前身でした。1206年にチンギス・ハーンは、大モンゴル国を建設し、それまで散り散りだったモンゴルの多くの民族を統一し、アジアとヨーロッパの殆どの国土を支配しました。その後、清朝、社会主義時代を経て、現在は市場経済を選択し、人道的で民主的な社会の構築を目指しています。

     

    <モンゴルの人口と民族、行政>

     現在、モンゴルの人口は260万人で、21県、340の郡と区があります。言葉はモンゴル語とカザフ語を話し、95%の国民がモンゴル語を使います。カザフ語を話すのは、カザフ、ウリヤンハイ、ホトン族ですが、公用語はモンゴル語です。部族は、ハルハ族、ダリガンガ族、ダルハダ族、ブリアト族など20以上の部族がいます。

    モンゴルの立法機関は国会で、国の最高機関は大統領、国会、内閣です。モンゴル国会議員の選挙は4年間に一度行われ、21選挙区から選ばれた76人の議員を定員とし、議員は国会議長を選挙します。モンゴルの大統領は国民の選挙で決まり、任期は4年間です。また、国会議員は首相を決め、首相は閣僚を任命します。

     

    <モンゴルの外交と経済>             

     モンゴルは1961年に国連に加盟し、今年47年目を迎えます。モンゴルは民主国家となり、世界の国々は、モンゴルが市場経済に移行した1990年以降、多くの投資、借款などで援助を続けています。モンゴルは世界140カ国と国交を結んでおり、今年は日本との国交樹立36周年にあたります。国内には、60種類以上の鉱物資源をもつ4000以上の鉱山があり、金、銅、原油、石炭、ウラニウムなど豊かな地下資源が発見されています。外国に対しては、銅、石英、金、原油のほか、モンゴルのもう一つの重要資源である4300万頭の家畜の皮、羊毛、カシミア、革製品などを生産して輸出しています。

    市場経済の導入により国家資産が国民に分配され、市民が個人的な資産を持つようになりました。モンゴルの経済、ビジネス活動は時代が進むと共によりいっそう発展・強化されています。

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  • モンゴルの保護動物

    モンゴルには、17種類の保護動物が生息しています。その中には、トナカイや、雪豹、「アルガル」野生の羊、「ヤンギル」野生の山羊、「ホラン」野生ロバなどがいます。

    これらの動物の毛は高価で、角やミルクなどは様々な薬品材料として利用されています。例えば、鹿の角から、「パントクリン」と言う薬が出来、それは貧血性の人に利くと言われています。

    1921年の革命以前には、希少動物を保護していませんでした。このため人間が日用品として利用したり、商売対象とするために狩猟していました。1950年から60年に掛けて、これら17種の希少動物を保護することになりました。それでは、ここで、その保護動物の中から、「アルガル」野生の羊、

    「ホラン」野生のロバ、雪豹、「ヤンギル」野生の山羊についてそれぞれご紹介します。 

               「ホラン」野生のロバ

    「ホラン」は蹄が割れていない単蹄類の馬です。「ホラン」の耳は長く、尻尾は細くて短く、たてがみが薄くて垂直になっているのが特徴です。体の大きさは野生馬より、小さくロバより大きいです。毛の色は、全体に白く、腹と脇は黄色です。お腹やお尻、鼻先が白っぽく、背中から尻尾にかけての線は、細く黒いのが特徴です。殆どのホランは、ゴビの山岳地域と低い丘陵に生息し、主食としてゴビの「ヒャラガナ」「ターナ」と言った植物を食べます。水分の多い植物を好み、厳しい自然環境に耐えられる動物で、ゴビにある数少ないオアシスに生息します。

    雌のホランは、11ヶ月で出産し、5月から7月に一頭の子供が生まれます。子供は、他の動物に比べて早く立ち上がりますが、生後10日間は蹄がまだ固まっておらず、遠くへ行く事が出来ないので、少し歩いてしゃがみこんだりします。その時、母親ホランは子供を昼も、夜も寝ないで見守ります。ホランの臭覚と聴覚、視覚は敏感でちょっとした音にも気付き、時速60から70キロのスピードでかける事が出来ます。

     

     

    「アルガル」野生の羊

    「アルガル」野生のメス羊で、雄は「ウガルジ」と呼びます。この仲間の何種類かは、アジア、ヨーロッパ、北アメリカの万年雪に覆われた山岳地帯に生息しています。

    モンゴルでは南部地域ゴビアルタイや、アルタイ山脈の地域に住んでいます。

    体は羊と同じように自然環境に適応しやすく、細くて長い足や粗い毛と短い尻尾を持っています。オスは雌のアルガルより、大きく、体重は200キロぐらい、胸の高さは約20センチ、角の長さは160センチから180センチもあります。アルガルの毛色は生息している地方によって違います。毛の色は夏と、秋が茶色、冬と春は薄い白い色です。腹と鼻先は真っ白です。

    アルガルは、山に生息していますが、「ヤンギル」野生の山羊のように岩には生息しません。ゴビの植物が沢山ある所に住んでいます。夏は、朝と夕方の涼しい時間に出没し、暑い日中には陰のある所に移ります。雄と雌のアルガルは、1頭から5頭、ある場合には30から40頭になって群れることもあります。

    アルガルは七ヶ月で出産し、春四月から5月にかけて、子供を生みます。普通は親から一頭の子供が生まれますが、時として、双子を生むこともあります。

             「ヤンギル」野生の山羊

    世界には、8種類の野生山羊がいます。その、一つがモンゴルの野生山羊です。

    モンゴルの南部地域のアルタイ・ハンガイ山脈と北部地域フブスグル県の山岳地の岩に生息します。「ヤンギル」の毛色は大体茶色で、背中の毛は粗い黒い毛で覆われています。雄の野生山羊は「テヒ」と呼ばれ、体の長さはおよそ130センチから160センチ、体重は100から150キロあります。

    角は後ろの方に反り返り(そりかえり)、長さは75センチから140センチです。「ヤンギル」は100頭から150頭で群れています。暑い夏には、影のあるところでしゃがみ込んで過ごし、群れの先頭の賢いヤンギルは、危険を防ぐため高い岩に立ち周囲を見守ります。

    雌のヤンギルは6ヶ月ぐらいで出産し、5月の中旬に一頭から二頭の子供を生みます。ヤンギルも世界中で希少動物です。

                「雪豹」

    現在、世界中には様々な種類の雪豹が生息していますが、モンゴル地域でも、何千年も前から暮らしてきました。生息地帯として4,5千メーター以上の高いところに暮らすのが一般的ですが、モンゴルに生息しているゆき豹は比較的低いところ2,3千メートルに高さに生息しています。モンゴルでは雪豹は西南部と西北部のモンゴル・アルタイ、ハンガイゴビアルタイ山脈とそれに連なる高い山々で移動しながら生きています。外国人学者たちの研究によりますと、モンゴルに暮す雪豹の主な特徴は比較的低いところで、相当数集まって生息しているとの事です。モンゴルに生息する雪豹は茶色で毛皮には黒い点があります。体長は155センチ、身長は60センチほどで、体重はおよそ45キロです。また、体の長さと同じ程度の長い尻尾を持っていますが、そのために尻尾は大変重いそうです。

    肉食動物であるため、雪豹の主食は野生のヤギや羊、ウサギ、タルバガン、地鼠などとなりますが、彼らはこのような動物を追って、移動しながら暮らします。一頭の豹は一回に大体4,5キロの肉を食べますが、一日に一回食べれば、その日は、もう他のものを食べません。一般に豹の一年間の食肉量は700から800キロぐらいと言われています。

    モンゴルに暮らす雪豹の生息頭数について数字をあげれば、1970年ごろ約700頭だった頭数が80年ごろには2000頭まで達しましたが、2008年度の調べでは、モンゴル国内の5県の16平方キロメートルに及ぶ地域に1500頭から1700頭の豹が暮らしているという結果がでました。生息している地域の広さは、他の国に比べれば、相当広いのですが、その割には雪豹の増加率はあまり高くない言われています。世界中で、13カ国に生存しているといわれ、もっとも多い国は中国で、第二番目にモンゴルが入っているということです。

    最近、雪豹の主食となる野生のヤギや羊が急激に減少していくに連れて、モンゴルの雪豹の数も減っています。その上、綺麗な毛皮のために密猟の対象とされていることも生息数が減少する理由の一つとなったのです。

    密猟で雪豹の毛皮を取って、外国輸出しようとして税関に捕まった事件が沢山起こっています。実例として、250頭の雪豹の毛皮を輸出しようとしたグループがあり、その毛皮は現在「チンギス」村と言うツーリストキャンプで、モンゴルゲルを飾っています。

    雪豹の頭数が減りつつあることに連れ、世界的な様々な連盟が設立されていますが、モンゴルもその一員となり、各活動を行っています。また頭数を保護するため、外国人研究者と共同でプロジェクトを実施しています。雪豹を保護するためにモンゴルと言う国土の特徴やそこにすむ人々の暮らし方に合わせて、いわゆるただ雪豹だけを保護するのではなくその雪豹が暮らしている地域と、そこで生活している住民も含めて、皆の協力を得て保護すると言う実施方法も始められています。そのほかにも、近年、野生の羊の狩猟も禁止されているため、雪豹の増加率に影響を与えるだろうと考えられています。

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  • モンゴルに生息するフタこぶラクダ

    「モンゴルに生息するフタこぶラクダ」について

      モンゴルには、フタこぶラクダがいることをご存じでしょうか。フタこぶラクダは、モンゴルの東南部と南部にある、ウムネゴビ県、ドンダゴビ県、ドルノゴビ県の比較的暖かいゴビ地方を中心に生息しています。モンゴルのラクダの頭数は、世界で第9位、アジア諸国の中では第3位となっています。また、人口一人当たりのラクダの頭数では、世界第3位です。国内で、ラクダが一番多い県は、南部のウムネゴビ県で、統計局の家畜頭数報告によると、2004年の同県内のラクダは9万6900頭、全国の3分の1に達していました。モンゴルの北部は、

    南部より、寒く住民はラクダをあまり飼っていません。1980年代の統計では、北部のセレンゲ県にラクダは7頭しかいませんでした。これまで、モンゴルでラクダーが一番多かったのは、1954年で、80万9300頭にものぼっていたそうです。しかし、ここ数年、ラクダの頭数が激減し、2004年には25万頭に減りました。世界中に生息する1900万頭のラクダのうち、100万頭はフタこぶラクダですが、その30%がモンゴルに生息しているということです。

     

    ラクダは、35年から40年間生きる動物ですが、生きている間にラクダ一頭からおよそ、300キロから480キロの暖かい毛を取る事が出来ます。ラクダの毛は

    雄毛、雌毛、子ラクダの毛と分けられます。雄毛というのはラクダの首、足、二つのこぶのところの毛のことで、ゴワゴワしているため雄毛と呼ばれます。

    また、雌毛というのはラクダの足や首、こぶの除いた体の本体部分からの毛を言いますが、これはなめらかな毛のために、雌毛と呼ばれます。雄毛は今の時期、3月の1日から20日の間に、雌毛は4月中旬から6月までの間に刈り取られます。ラクダ一頭で年間16から18キロの毛が取れます。

     

    厳しい気候の中で生活するモンゴル人にとって欠かせない動物、ラクダ。

    ラクダは暑い気候の中でも、水を飲まないで何日間も生きていけるきわめて我慢強い動物です。1日にまとめて40リットルの水を飲みますが、研究者の調査によれば体重235キロのラクダは1日104リットルもの水を飲んだという記録もあったそうです。モンゴルのラクダの平均体重は400キロですが、

    800キロに達する大きなものもいます。その肉は、美味しいといわれ、ラクダを飼っているゴビ地方の人々の間では、大切な料理となっています。ラクダは普通、冬の初めに解体し、干して寒く長い冬のために蓄えられます。ラクダからとれる脂肪は55キロから60キロとなりますが、この内、二つのこぶから取れる分がその半分以上、29キロから34キロになるということです。ラクダの脂肪は石鹸や化粧品などをつくるためによく利用されています。雌ラクダは1日に2,3回も乳を絞ることが可能で、一頭のラクダから年間に220から250リットル、一生のうちにはおよそ、6600から8200リットルもの乳を出すということです。雌ラクダは一年おきに出産しますが、大体一回の出産で一頭の子供を生みます。生まれたばかりの子ラクダは大体35キロあります。双子のラクダを生む事が大変珍しいことで、もし生めば、その県全体がお祝いをします。モンゴル人は、珍しいことを、双子のラクダと比べて話す事がよくあります。

     

    このところ、ラクダは急激に減っています。悲しいことに、2001年度の統計では、ラクダは一番沢山いたころに比べ、半分以下の3万6千頭しか数えられませんでした。このラクダの激減にはいくつかの理由が考えられます。その一つは長い間ラクダを始めとする家畜が国有財産だったことです。1960年代・社会主義時代の協同組合制度は、結果として家畜を増やす意欲を牧民たちから奪うものとなってしまいました。牧民の中には、飼っている家畜は私有物ではなく国の財産だということで、家畜を増やすことにそれほど力を入れなくなったのが、一つの原因となっているのです。

    その次には、最近ラクダを物の運搬にあまり利用しなくなったことで、ラクダが野生化した、すなわち野生のラクダが増える状況が出来上がっているのも、大きな原因となっているようです。もう一つ、ラクダを比較的安易に殺してしまうということもあります。自由主義経済の浸透によって、現金が不足している地方の牧民たちは日用品や小麦粉、米といったものを買うのに、現金ではなく、家畜の毛や皮、肉といったもので物々交換をする事が多くなって来ました。

    そのため、ラクダが殺される量がこれまでより確実に増えているのです。また、自由化後、家畜を分配する、すなわち私有化するときも、ラクダの習性などをよく考えないで、行なったために、ラクダの群れの構成が崩れ、群れの中に占める雌ラクダの割合が変わってしまったことも相当大きな影響を与えていると見られています。ラクダの数を増やすためには、群れの中の雌ラクダの割合が大きな意味を持ってきます。研究者による調査では、一つの群れの中に雌ラクダが32から35%占めている時が最適な繁殖環境になるが、その割合が壊れると崩れてしまうのだそうです。

    減少の続くフタこぶラクダですが、その生息数を確認し増やしていくことは、ラクダと長い間、共存してきたモンゴル人にとって、国民的な課題となっているのです。

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  • モンゴルのフェルト

      モンゴルのゲルは、清らかな水や、美味しい草を探しながら移動する遊牧民の一番便利な住まいです。移動するとき、たたむことも、組み立ても簡単なこのゲルは、数千年にわたる遊牧民の生活の中から生まれ、時代が進むと共に改良されてきました。ゲルに使われる木材は、少ないのですが、建てると、中の面積は広く、空気の通りもいいので、衛生的で、今でもこの形を残しています。ゲルの材料は、木材のほか、家畜からの製品で出来ています。例えば、細い木で、壁や屋根を作り外側はフェルトで覆います。

    昔から遊牧民は、フェルトを作るため、秋のいい日を選び、周辺の人々を集め、皆で一緒に作る習慣がありました。これは、ほかの面で、労働のお祭りにもなっていました。その後、ある時期、モンゴル人である私たちはフェルトの作り方を忘れてしまっていましたが、今では、またこの習慣が復活してきています。

    現在、ゲルで暮らす人々を繋ぐものは、フェルトです。フェルトで覆われたゲルは雨が一日中ずっと降っても雨水を通さないし、早く乾燥するという特徴があります。

    昔は、ゲルのドアもフェルトで作られていました。そしてフェルトを真っ白にするため、骨の粉や石灰をしみ込ませていました。フェルトを作るときは骨より硬く、雪より白くなるようにと祈る習慣もありました。フェルトは色々な目的に利用されます。現在も、伝統的な方法を守る一方、現代風な服も作っています。モンゴルのフェルトの服の特徴は、何も縫うところが無いという点です。フェルトの製品は、熱の発散を防ぎ、空気をよく通し、湿気も吸うので、感触がとてもいいのです。

    そのほか、フェルト手織りで、様々な綺麗な飾りがある絨毯を作る他、このフェルト芸術を広める目的でお土産物を作っています。例えば、昔のハーンたちの肖像をフェルトで作り「チンギス・ハーンの移動」というタイトルをつけたものなど多くの作品を作っています。モンゴルでは、特に地方で、全ての作品がフェルト芸術であることをモンゴルを旅行すれば、よく分かります。フェルト芸術を現代の状況にマッチさせ、さらに発展させることは、伝統を守ることに対しても大事な事でしょう。

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  • タルバガン・マーモット

    「タルバガン・マーモット」について

    皆さんが、8月ごろ、モンゴルにいらっしゃれば「さぁ、タルバガン狩りをして、食べたいね。美味しいよね」という話は、町にも田舎でもよく聞かれるでしょう。タルバガンの肉料理の名を聞いただけで食べたくて、しょうが無い人も多いです。皆さんは、それは一体どんな動物で、そんなに美味しいのか、と思ってるでしょう。

              

    これが、タルバガンの泣き声です。モンゴルの草原・アルタイ山脈・河や沼のある高原の地にもよく見かけます。植物の根っこの多いところに穴を掘って、家族で住んでいるこの動物は普段、朝早くか夕方の頃、穴から出て食事をします。季節によって、毛の色が黄色がかった茶色や鼠色っぽい色になります。秋には、色が変わって、十分太って10月頃に冬眠に入り、春、雪が溶け始める頃に穴から出て、5匹から12匹の子供タルバガンが生まれます。

    そして、9月末頃の十分太ったタルバガンのお肉は4、5キロ、油が1,5グラムになります。

    「アルタイの黒タルバガン」といわれるアルタイ山脈に住んでいるタルバガンは体長も大きく、毛の先がこげ茶色で、毛の柔らかい事でよく知られています。特に、8月から9月に狩猟したタルバガンの皮は色も良くて、冬のコートと帽子を作れば、暖かくて冬を安心して過ごせます。タルバガンの毛皮は丈夫で、毛が濃くて柔らかく、ふわふわしているので、染めればビーバーの毛皮のように綺麗になります。今も、タルバガンの毛皮は国際市場で高く売れています。

                          

    タルバガンという動物は、お肉の美味しいさ、毛皮の柔らかさで人間を誘惑する割りに伝染病が移り安い危険な動物でもあります。それは、ペストです。毎年、夏と秋の時期にタルバガンの多い地域では、必ずペスト患者が出て、一定の期間立入禁止がなされ、地方から入る人々の荷物を捜索することもあります。その伝染病はすぐに直さないと人に移り、命を落とす可能性も高いです。この危険を知っているのに肉緒で狩猟して、肉と毛皮を売る人も多いと言えるでしょう。

                     

    タルバガンは、毛皮が良く、お肉も美味しいと言っただけでは、過少評価した事になるでしょう。それは、タルバガンは丸ごと薬として使えるからです。

    モンゴルでは、タルバガンの器官を伝統的に薬として使っています。

    タルバガンの油は、薬の一番大事な材料として使われています。それと、怪我をした時に、使いますが、後が残らない利点があります。また、タルバガンの腎臓の油分は胃の痛みに良くききます。また、タルバガンの生の肝臓を食べて、やっと肝臓病を直した経験があります。

    最近、特に不眠症の人達がタルバガンのお肉を良く食べていますが、良く効くと聞きました。命の危険のあるこの病気をタルバガンの両脇の下にある肉で直すのです。それは、もちろん、ペストの無い地域から狩猟したタルバガンを使います。

    また、腰の痛みにもいいらしいです。

    この事に関して学者達が研究した結果、狩猟した後に骨を取ってお肉の分だけを腰に巻いて風が通らないように48時間ほど、きちんと巻いていればよく聞くという事が分かりました。この方法で、元気になった人も多いです。このようにタルバガンと言う動物はそれ事態が薬として使われる自然の遺産であります。

    このように、自然に魔法の薬が走っているのに、手術して、メス使って手術させる必要があるかと思われているでしょう。    

    リスナーの皆さんが、モンゴルにいらっしゃった時に、道端にこんな声だした兎よりちょっと大きいこげ茶色の動物を見たら、それがそのタルバガンです。この動物の危険なペストに会わなければ相対的に意義が多いという訳ですね。

                    

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  • モンゴルに生えている「沙棘」と言う木の実、その効能

    モンゴルに生えている「沙棘」と言う木の実、その効能について

               

    皆さん、沙棘の効能についてはご存知の方も多いと思いますが、今回はモンゴルで知られている効能について説明をしようと思います。

    沙棘と言うのは、ブルーベリーのような大きさで、丸い形のオレンジ色の木の実です。味は完熟すると、甘酸っぱくなります。この酸っぱい味は、ビタミンCが沢山含まれているからなのです。

    沙棘には、A,C,E,K,B,Pなどの50以上のビタミンのほか、様々な生物物質が含まれています。そのため、食料品として使うほか、東洋医学にも良く使われてきました。近年、学者たちの研究の結果、沙棘は、ガンの拡大を停止させる効き目があるということが確認されました。沙棘の実の柔らかい部分には薬剤となる貴重な油を含んでいます。沙棘の油は、皮膚の火傷、胃潰瘍、動脈硬化、女性病、ガンの拡大抑制に利用します。

    このように沙棘から病気に効き目がある油を取り出すほか、ジュース、ワイン、ジャムを生産したり、化粧品の材料として利用します。

      沙棘は モンゴル、ロシア、中国に生えている木の実で、モンゴル語で「チャツルガナ」と言います。資源量は、世界中で3万トンという学者たちによる調査があります。モンゴルでは北部と西部地域のウブス、ホブド、ボルガン、ザブハン、セレンゲなどの県で主に生えています。一番資源が豊富なところは、ウブス県です。ウブス県ではどの家庭も敷地内に沙棘を植えていると言っても過言ではありません。モンゴルは、1965年からサージの研究を始めました。その結果、厳しい気候に強く、味の美味しい品種の改良に成功し「ウラーン・ゴム」、「チァンドマニ」、「テス」などの品種が誕生しました。そして、1990年代には年間平均で400トンのサージを収穫していたそうです。現在は、家庭農作業を行っている人々、また「ウブス・フンス」、「ガンガル・インベスト」などの会社が沙棘の栽培作業を行っています。

    現在、沙棘1本の苗木の値段は、1400トゥグルク、米ドルで1ドルです。一ヘクタールに栽培する苗木の数は、1000本から1250本となります。

    苗木植樹後5年で、沙棘を収穫することが出来ます。7歳から8歳の一本の木から、平均で5キロの沙棘を収穫するのです。この木は、15年間生きます。沙棘の収穫時期は、11月で、木を揺らし 凍った沙棘を落とす方法で収穫するのです。沙棘の木は、モンゴルの厳しい気候に調和した寒さに強い木です。そのために、ここ数年 干上がる危機に瀕した河川の保水目的で、川沿いや盆地で沙棘の木を沢山植樹するようになりました。この対策は、自然環境を回復するものだけでなく、この国の経済と国民の生活ぶりにも大きな役割を果たすことは間違いないでしょう。

    現在、国内市場で、沙棘一キロは6000トゥグルク、米ドルで4ドルで、ジュースは3100トゥグルク、沙棘の純粋の油50グラムは1万2千トゥグルク、米ドルで8,5ドルで売られています。

      ここ数年、日本人の間で、沙棘の利用が流行っているそうですが、モンゴルの幾つかの会社が日本へ沙棘のジュースを輸出し始めました。その外中国、韓国、ドイツにも良質の沙棘を輸出入する契約を結んでいます。モンゴル人は、沙棘を水に入れて沸かし、中には砂糖を加えて飲んできました。これは、沙棘の成分となるビタミンや物質を破壊するので、質が悪くなります。しかし、現在、最新技術を利用し、1トンの沙棘から600リットルものジュース、20から70キロの油、50キロのポリー・ビタミンを含む栄養食品を生産するようになりました。

     

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  • モンゴルのゴビ

    「モンゴルのゴビ」について

     モンゴルは、ゴビとラクダなしでは、語れません。ゴビでは、昔のモンゴルの伝統的移動方法である、キャラバンも従来どおり続けられています。また、野生のラクダ、野生のロバ、ゴビ熊マザーライなど世界的に珍しい動物が生息しているところです。そのため、世界各国からゴビを見に来る人たちが年々増えています。 

    モンゴルの3分の一を占めるゴビは、日差しが強く、強風が吹く日が多いところです。ここは、雨が少ないので、大変乾燥していますが、美しい山々もあるし、水や植物が豊かな美しいところ「オアシス」もあります。

    ゴビは、自然が大変豊かなのです。雨が多い年には、名前も分からないような、珍しい色々な植物が育ち、花が咲きます。ゴビには、「バヤンブルデ」というところがありますが、これは、ゴビ砂漠の中にあり、水が湧き出し、様々な植物が生えていて、動物も沢山いる緑豊かなところ「オアシス」です。動物についていうと、肉食性の動物以外に、色々な鳥も暮らしています。「バヤンブルデ」にある、楡の木の上に、鷹などが巣を作り、竹には、渡り鳥が卵を生みます。このバヤンブルデの水を飲むために、来る珍しい動物、野生のラクダ、野生のロバの群れが良く見られます。これは、大変美しい光景です。

    では、ゴビは、何が特徴的でしょうか。      

    現在、世界中、観光が盛んで、モンゴルも例外ではありません。観光客は、色々な場所を見学することを目的として、旅しますが、中でも、興味を持つのは、見たことも無い新しいものに対面することでしょう。その中でも、特に皆が喜ぶのは、古くからある自然や発掘された恐竜の骨や卵です。

     世界的に、恐竜関係のものが良く発見されるのが、モンゴルです。

    モンゴルで、発見された恐竜の骨や卵は、殆どは、ゴビ地域で発見されたものです。ここでは、長さ60センチの爪をもった、肉食性の恐竜の骨が発見されています。皆さん、ゴビの「バヤン・ザグ」というところへ行き、有名な恐竜の面白い世界に浸っては、いかがでしょうか。  

     バヤン・ザグというのは、どんなところかご説明しましょう。

    80年前、モンゴルに来たアメリカの研究者アンドリュスは、このバヤンザグから貴重なものを発掘しました。その一つが恐竜の卵でした。

    その時まで、世界的に、恐竜という体が大きい動物が、卵を生むということは知られていませんでした。アンドリュスが、バヤンザグから卵を発掘したことで、恐竜が卵を生むということが分かりました。

    これによって、バヤンザグは、世界的に知られるようになりました。それが、モンゴルゴビの一部分なのです。このバヤンザグは、モンゴルのウムネゴビ県にあります。        

    皆さん、ゴビの日の出を見た事がありますか。ゴビの日の出は、世界でも有数の美しさで知られています。大きくて真っ赤な太陽が、地平線から急に出てきます。まるで、太陽のすぐ近くにたっているような気がします。「百聞は一見にしかず」皆さん、是非、「モンゴルのゴビにいらっしゃいませ」

    Нийтлэсэн огноо:9 month ago 詳しく..
  • 「モンゴルの昔の首都であるカラコルムを含むオルホン」の遺跡

    「モンゴルの昔の首都であるカラコルムを含むオルホン」の遺跡について

    モンゴルの首都ウランバートル市から舗装された道路を西へおよそ380キロ、ウブルハンガイ県の北の端っこ、カラコルム郡にあるオルホン遺跡は、モンゴルの都市システムの基礎と発展を物語る、考古学的にも、歴史的文化遺産としても価値のあるものです。モンゴルは移動の文化を持つ国の一つであるということは誰もが知っていますが、その歴史の何もかもが解明されているわけではありません。モンゴルの文化における移動の習慣は自然に適応し、また民族の戦略的な意味を兼ね備えたもので、幅広い文化を成立させました。

    オルホン遺跡のあるこの地を築くのに、中心となったのは軍隊です。また後には貿易の重要拠点として発展しました。

    オルホン河の流域に広がるオルホン遺跡には、緑の草原の中に白く輝く塀で囲まれたエルデネゾー寺院のほか、トブフン寺院、ハルバルガス、クリトギン、ビルゲといったハーンたちの慰霊碑など、歴史的に価値のあるものがあります。

    チンギス・ハーンの時代、1220年にその基礎が築かれたカラコルム市の前身であるオルホン遺跡は、13世紀から16世紀頃のモンゴル帝国の広大な領土の中で、非常に重要な拠点でした。

    フビライ・ハーンがモンゴル帝国の後身である元の首都を北京に移すまで、モンゴルの皇帝はこの首都から大帝国を統制し、シルクロードの交差点であるこの場所で、ヨーロッパとアジアの交易を400年以上に渡って掌握していました。

    カラコルムの南東の丘の上からは、エルデネゾー寺院を含むオルホン遺跡の一帯を一望にすることが出来ます、この地は広大な緑の平原とオルホン川の水量豊かな流れに恵まれており、遊牧民がここに都を築き、多くの家畜を追いながら豊かな生活を営んでいたであろう という事は想像に難くありません。

    しかし、モンゴル帝国の首都カラコルムは、オルホン遺跡が残るこの地域に建設された最初の都市というわけではありません。カラコルムが建設される以前この地にはウイグル国の首都、黒い(廃墟)と言われる城壁や破壊された要塞都市がすでにあったのです。モンゴル帝国時代以前に都市システムとしてすでに確立され、発展していたことは研究によって確認されています。

    オルホン遺跡には、旧石器、青銅器、鉄器時代から突ケツ、ウイグル・モンゴル時代にわたる数多くの文化の足跡が残っています。広い地域に散在する遺跡の中にはビルゲ・ハーンやクリトゲンなど突ケツの有名な将軍たちの栄光をたたえる慰霊碑があるだけでなく、その外の記念碑も豊富にあります。

    オルホン遺跡は、モンゴルに次々に起こった帝国の首都であり続けました。

    今も残るエルデネゾー寺院は、400メートル四方の白い壁に囲まれ、オルホン遺跡の中では特に目立つもので、モンゴルに建設された最初の仏教寺院です。仏教は13世紀頃、モンゴルに広がり、モンゴル帝国の国教となりました。

    当時、エルデネゾー寺院のこの敷地の中に、大小様々な寺院がひしめき合っていたということですが、社会主義時代の宗教弾圧などの影響を受けて、多くの寺院が破壊され、現在は一部の寺院と、寺院の基礎を成していた石組みがあちこちに見られるほかは、白い壁に囲まれた緑の空間となっています。現存している寺院は殆どが博物館として観光客に公開されていますが、当時チベットから訪れた人々の宿泊所となっていた チベット様式の建物が現在の寺院になっており、今も多くの僧侶がその中で暮らしながら日々のお勤めを果たしています。現存している寺院の芸術的建築は13世紀そのままの状態でよい状態で残されました、寺院の中には様々な仏像や宗教絵画が今も鮮やかに残されています。その建築様式からは、ドナウ川から黄河まで広がる、広大な地域に渡って様々な宗教建築に影響を与えた事がはっきりと見て取れます。

    寺院の中央には大帝国が4つの県に分けられて統治されていた頃に 一年に一度の国会が開かれており、一度に300人もの人が一同に会したということで、それらの人を収容することが出来たという、高さ15メートルのい巨大なゲルの基礎や、それぞれの県の旗を立てたという4つの巨大な石なども残されています。

    また、寺院の外に出ると、カラコルムの四方を守っていたと言う大きな亀を模した石像が、緑の草原の中にぽつんと残されています。カラコルム市の歴史については、19世紀の終わりから国内外の様々な研究者が調査に当って来ました。

    1948年から49年には、ロシアの研究者キシリョブと、モンゴルの研究者ペルレーが中心になり、1949モンゴル歴史民俗学研究調査機関がカラコルムを初めて調査しました。この調査の結果、非常に多くの新たな発見が得られました。

    1995年から97年まで行われた、モンゴル政府、ユネスコ、日本政府の「モンゴルの古代首都カラコルムの歴史保存と保護」と言う合同プロジェクトが、カラコルム市の復元図を制作し、考古学的発掘調査も行われました。この調査によって、カラコルム市は四方に城門がある四角い要塞の中に、皇帝の宮殿、ドガン寺院、商店、軍隊の駐留地区などがある都市だったことが分かってきました。マルコポーロなどがその著書に鮮明に書き記した物を見ると、モンゴル人は建築や都市システムを築く時には 非常に細かい計画に沿って行っていたようですが、現在 実際にこの地を訪れて見ても、その面影を探すのは中々難しいものです。古代のモンゴルの首都カラコルムはこれまでに修復や復元作業がなされたことは全くないのです。

     

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